体験談:渡邊さんの場合
【お名前】渡邊 清貴 さん
【居住地】東京都内
【罹患時の年齢】57歳
【初診時の時期と症状】2006年5月(48歳)に乳頭からの出血ありその後も分泌物は断続的に継続
【診断時期】2015年8月
【診断時のステージ】ステージ1
【浸潤径】1cm
【組織型】浸潤がん(乳頭腺管がん)
【サブタイプ】ルミナルタイプ(ER+、PgR+)
【HER2】1+
【リンパ節転移】微小転移1個あり(微小転移のみなので無しとの判断)
【脈管侵襲】高度
【遺伝子検査】現時点でも実施せず(血族に関連しそうながん患者無し)
【初診から診断までの経過】
2006年5月左乳腺からの出血で近医受信し、直ちに某大学病院に紹介された
マンモグラフィ、エコー、ニードルバイオプシーなどでも診断できず、約1年半後の2007年10月専門病院にさらに紹介された。この間も断続的に乳腺からの分泌液あり。
専門病院でも、マンモグラフィ、エコー、乳管内視鏡など繰り返し検査が行われたが診断できず、一旦2009年12月経過観察となった。乳腺からの分泌物は2010年5月を最後に観察されなくなった。気になっていたので、入浴時に時々セルフチェックを行っていた。
2015年4月人間ドックで異常なし。
2015年5月左乳腺のしこりに気が付き、押すと痛みを感じたため、専門病院を再度受診。
マンモグラフィ、エコー、最終的に針生検で悪性化しているということで乳がんと診断された。(2015年8月)
造影MRI、骨シンチ、上腹部MRIで明らかな転移が無いことを確認。
【手術】2015年10月左乳房切除術実施。リンパ節除去無し。
【術後リスク】中リスク
【術後補助療法】
抗がん剤:外来で点滴にて実施(2015年12月から2016年4月)。アドリアシン3週間に1回を4回、ドセタキセル3週間に1回を4回実施。
点滴時および随時制吐剤を服用。
途中好中球減少がありG-CSF製剤を皮下投与2回。
アドリアシン初回投与から2週間前後で頭髪を中心にほぼ全身の脱毛あり。現在も完全には戻らず。
抗がん剤投与後は吐き気が激しく、味覚が無くなった(砂を食べているよう)ことにより、食事は量が半分以下、時間も普段の何倍もかかった。不思議だが甘いものは食べることができた。2週間で吐き気、食欲不振は軽快するが、3週間でまた抗がん剤点滴。
頭重感、全身痛、手・足・爪の痛み、口内炎、手指の乾燥が続いた。
放射線治療:5日連続を5週間で25回照射(2016年6月から7月)。
照射部位(左胸)が日焼けのようになり、照射後は汗腺の壊死により汗をかかなくなった。
ホルモン療法:2016年6月からタモキシフェン20mgを1日1錠。
当初は5年間の予定であったが、リスクが高いかもしれないとのことで、10年間投与に変更。
【現状】
ホルモン療法中で幸い副作用が無く、経過観察中のエコー、骨シンチ、FDG-PET CTでも再発、転移は認められていない。
【メッセージ】
最初の乳腺からの出血は肌着に3cm径くらいあり、本当に驚きました。医薬関係の会社に勤めておりある程度知識があったのと、最初に掛かったかかりつけ医の先生からすぐに専門医を紹介してもらったのが幸いでした。また、診断まで9年以上かかったのですが、経過観察中にセルフチェックを行っていたのも良かったと思います。
勤めている会社は医療関係ということもあってか理解があり、有給休暇が足りない場合は相談してほしいとの連絡もありました。業務上も上司や同僚も理解があり助かりました。
髪がほとんど無くなったので、同僚や知っている人には驚かれましたが、二人に一人ががんになる時代で、その中で私が男性乳がんになったのも運命と考え、男性乳がんであることをできるだけ話をするようにして、微力ながら啓発・啓蒙活動になればと考えています。
以前は、営業関係の仕事で不規則な出張も多い生活が続いていたのですが、現在は幸い内勤業務もあり、生活には気を付けるようになりました。気を付けていることは、野菜・魚介多めの食事、ウオーキングやジョギングなどの運動、6時間の睡眠時間の確保です。
稀な男性乳がんですが、決して少ないわけではなく、年間600名近くの新規発症患者がいるそうです。男性の場合は検診もなく、乳腺直下にできることが多く発見が遅れることも多いようです。まずは、疑われる症状があった場合は迷わず診察を受けることです。
女性乳がんと同様、早期発見・早期治療につなげれば生存率も高く、決してあきらめる必要はありません。ただ、女性乳がんと違って情報が少ないと思います。私たちのような体験者の仲間が増えることで、得られる情報も増え、不安感の解消に役立つことを期待しています。
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